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東京地方裁判所 平成9年(ヨ)21105号 決定

債権者

甲野花子

右代理人弁護士

上本忠雄

平澤千鶴子

債務者

上田株式会社

右代表者代表取締役

上田知弘

右代表人弁護士

真野稔

主文

一  債権者の本件申立てを却下する。

二  申立費用は債権者の負担とする。

理由

第一  申立て

一  債権者が債務者に対し、労働契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

二  債務者は債権者に対し、平成九年四月一日から本案判決が確定するまで、毎月二五日限り月額一四万五一七四円を仮に支払え。

第二  当裁判所の判断

本件は、債務者の債権者に対する解雇の有効性が争われた事案である。

一  事実経過

以下の事実は当事者間に争いがないか、括弧内に摘示した疎明資料等によって疎明される事実である。

1  当事者

債務者は、塗料等の加工製造販売等を業とする株式会社である。

債権者は、白百合女子大学国文科を卒業後、株式会社財商、東海リース株式会社等を経て、平成元年二月、債務者に入社して経理課で勤務していた者であり、平成九年三月二六日時点における月額給与は一四万五一七四円、賃金支払日は毎月二五日である。

2  退職勧奨のはじまり(甲九、乙一六ないし一八、審尋の全趣旨)

(一) 債務者の田中経理課長(以下「田中課長」という。)は、平成八年一一月一八日、債権者に対し、業績不振等を理由に同年一二月末日限りで辞めてもらいたい旨を申し入れた。そこで、債権者が「自分の勤務態度等、自分の落ち度で解雇になるのか。」と質問したところ、田中課長は、「そうではない。」と返答した。

(二) 債権者は、同月二一日、田中課長に対し、仕事を続けたい旨を申し入れたところ、田中課長は、「仕事ができない。性格が暗い。」、「今辞めると言えば退職金が全額出るのに、居続ければ自己理由となり、損だから辞めた方がよい。居続ければ部署換え、嫌がらせで自己退職に追い込まれる。俺は知らない。旦那さんと今晩話し合って考えてくれ。あまり返事を延ばしては困る。解雇命令を出したのは社長だ。」などと述べて、債権者に対して退職するよう迫った。

(三) 田中課長は、同月二九日、債権者に対し、「会社としては辞めて貰わない訳にはいかない。会社による解雇か自己退職にするか回答してほしい。解雇となると今日中に書類を作成して受け取ってもらわなければならない。離職票に解雇と記載されると、次の就職に不利になる。」などと述べて、都合五回にわたり退職するよう申し入れ、「週明けの一二月二日に自己退職の届けをしないのであれば、解雇通知を郵送で送りつける。」旨を申し述べた。

(四) 田中課長は、同年一二月三日、債権者に対し、「一二月いっぱいで辞めてもらうのはどうしようもない事実なのだ。一〇日まで返事は待つが、どっちにしても辞めてもらう。一〇日に自己都合の書類を書いてもらうか解雇の書類を作る。」と述べて退職するよう申し入れた。

3  債権者の組合加入及び交渉経過(甲三ないし五、九、一一、乙一〇、一一、一五ないし一八、二〇、審尋の全趣旨)

(一) 債権者は、平成八年一一月二九日ころ、個人加盟の単一労働組合である全統一労働組合(以下「組合」という。)に加入した。そして、組合は、同年一二月一〇日、債務者に対し、債務者の債権者に対する解雇撤回及び団体交渉の開催を申し入れた。

(二) 田中課長は、同月一二日、債権者に対し、組合の申入書を示しながら、「これは一体どういうことか。一体誰の紹介で入ったんだ。」、「この人達にあなたの過去の色々なことや今までの所業、家庭のことなど洗いざらい話しますよ。ハートカードのことも話せば金品授受の罪になり、あなたに不利になるけど良いのですか。ハートカードの件、知っているんだろう。会社に対して中傷したことも言いますよ。過去の色々な所業をしたということの誓約書を書いてもらおう。」などと述べた。これに対し、債権者は、ハートカードの件は知らない、覚えていないなどと返答した。

なお、ハートカードの件とは、経理課員である債権者が同僚とともに、債務者が第一勧銀カード株式会社(以下「勧銀カード」という。)から貸与されているクレジットカード(UCハートカード)を利用した後、勧銀カードから送付されるハートカードご利用代金明細書の右下角にある応募シール(カードの利用金額に応じてポイントが記載され、これをカード名義人が一定のポイントを集めて希望する景品やギフトカードなどを応募すると、勧銀カードからカード名義人に対して希望景品などが送られてくるシステムになっている。)を集め、平成三年以降、応募台紙にカード名義人である債務者代表者の署名をして勧銀カードに送付し、カラーテレビやギフトカードを取得していたというものである。

(三) 田中課長は、平成八年一二月一三日、債権者に対してハートカードの件を問いただしたところ、債権者は、忘れたなどと返答し、逆に「会社は以前これを集めていましたか。」と質問した。田中課長は、「それはない。」と返答した後、「事が会社だけじゃ済まされなくなりますよ。組合の人と話をすれば犯罪が明るみになり、大変なことになりますよ。それでも良いのですか。」と述べたところ、債権者は、「良いです。落ちるところまで落ちますから。」と返答した。

(四) 債務者の矢部常務取締役社長室長(以下「矢部常務」という。)、田中課長及び藤沢管理課長(以下「藤沢課長」という。)は、同月一九日、債権者に対し、金券横領問題は懲戒解雇に処すべきであるが、温情的配慮で表面化を避けて依願退職の形を取ろうとしたが、債権者及び組合の理解に至らず、組合との話し合いが不調になれば組合と本格的な団体交渉に入り金券横領問題を表面化せざるを得ないことなどを記載した矢部常務作成の同月一八日付け書面を読み上げて事実の有無を問いただした。これに対し、債権者が「組合の人に聞いて下さい。」と述べたところ、矢部常務は、右書面を債権者に手渡して受領の署名を求め、債権者は署名を拒否した。その後、債権者は、「気分が悪いのでトイレに行かせてください。」と述べて会議室を退室し、組合に架電して支援を求めた後、会議室に戻った。矢部常務は債権者に対し、「本来、会社は金券着服の事実を知っていて初めから懲戒解雇と言いたかったのをかわいそうだと思って普通解雇にした。」、「保証人のお母さんはご高齢でショックを受けるだろうけど、この事実を話さなければならない。」などと述べたところ、組合所属の組合員四名が会議室のドアを開けて入室した。そして、矢部常務と右組合員らとの間で押し問答が繰り返された後、矢部常務らが話し合いのために組合を訪れることになり、債権者は右組合員らとともに会議室を退室した。その後、矢部常務、田中課長及び藤沢課長は組合事務所を訪れ、組合の鳥井書記長ほか二名と話し合った。右席上、矢部常務と鳥井書記長との間でハートカードの件やこれまでの債務者の対応が不当労働行為にあたると非難された点などが議論された後、団体交渉を同月二五日午後三時から開催することを合意した。その後、債務者の都合で団体交渉期日が平成九年一月一〇日に延期された。

(五) 債務者と組合は、右同日、第一回目の団体交渉を行い、債務者側は真野弁護士、矢部常務、田中課長及び藤沢課長、組合側は債権者、鳥井書記長のほか二名が出席した。右席上、矢部常務は、組合の平成八年一二月一〇日付け申入書に対し、債権者に依願退職の勧奨を行っていたに過ぎない旨の回答書を鳥井書記長に手渡した。その後、債務者は、金券横領や私文書偽造のことを開示して団体交渉を行う以上、債権者に対する懲戒解雇もやむを得ないと述べたのに対し、組合は、懲戒解雇、普通解雇のいずれにも該当せず、解雇権の濫用であると述べて平行線を辿った。その後、真野弁護士、矢部常務及び鳥井書記長の三名のみで話し合い、その席上、鳥井書記長は、「問題がここまでくると、債権者の職場復帰は難しいので、債務者が懲戒解雇を検討するならば、組合も債権者の退職を促す努力をしてみる。」と述べた。結局、真野弁護士は組合に対し、債務者が第二回の団体交渉日を組合に連絡する旨を伝え、しばらくの間、真野弁護士と鳥井書記長との間で協議をすることになった。

(六) 真野弁護士は、同月一七日、鳥井書記長に対し、債務者としては債権者に辞めてもらうしかないこと、退職金の増額等の方法で解決することを申し入れた。これに対し、鳥井書記長は、債権者の意思を確認しなければ退職の方向での話にならないこと、退職勧奨に応じて任意に退職するとしても、一年分、最低でも半年分の賃金を退職金に上乗せしなければ債権者に話を伝えることもできない旨を返答した。

(七) 真野弁護士と鳥井書記長は、同年二月一七日及び同月二六日、さらに協議を重ね、鳥井書記長は真野弁護士に対し、債権者が債務者を辞める意思がないのに組合が退職を勧めることはできない旨を述べた。これに対し、真野弁護士は鳥井書記長に対し、組合の最終結論を出すよう申し入れ、鳥井書記長の猶予期間二週間の要請を受けて、同年三月一二日までに結論を出すことになった。しかし、右同日になっても鳥井書記長から連絡がなかったため、翌一三日、真野弁護士が鳥井書記長に問い合わせたところ、鳥井書記長は、債権者は任意退職に応じられない旨を回答した。そこで、真野弁護士が債権者に対する解雇を実施せざるを得ない旨を告げたところ、鳥井書記長は、「解雇を実施するというのであれば、団体交渉を再開するしかない。」と返答した。

4  解雇の意思表示(甲一、九、乙一の2、七、一六、一七、審尋の全趣旨)

(一) 矢部常務は、平成九年三月二四日、債権者に対し、解雇通知書を手渡すこととし、これまでの真野弁護士と鳥井書記長との折衝経過を説明した。これに対し、債権者は、「自分が組合から聞いている話とは随分違う。」と述べたため、矢部常務は、「何が違っているのか。」と質問した。しかし、債権者は、「自分で組合に聞けば良いでしょう。」と返答したため、矢部常務は、「横着なことを言うものではない。もし、会社の事実認識に誤りがあれば、解雇の再検討することに吝かではない。解雇実施は明後日まで待つので、事実認識に誤りがあれば指摘してくれ。」と述べた。

(二) 矢部常務は、債権者から事実認識の誤りの指摘がなかったことから、同月二六日、債権者に対し、①金券横領(就業規則五九条一三号)、②私文書偽造(同条二〇号)を理由に同日付けで解雇すること、解雇予告手当金を同日銀行口座に振込送金する旨が記載された解雇通知書を交付した(以下「本件解雇」という。)。そして、債務者は、同日、債権者の銀行口座に解雇予告手当金二〇万〇六九〇円を振込送金した(しかし、その後、債権者が右振込金全額を返金したため、債務者が平成九年四月二二日付けで供託している。)。

なお、債務者の就業規則は別紙のとおりである。

5  解雇後の交渉経過(甲六ないし九、一一、乙一二、一三、一六ないし一八、審尋の全趣旨)

(一) 組合は、平成九年三月二七日、矢部常務に対し、債権者の解雇問題は同年一月一〇日開催の団体交渉における継続協議事項であったにもかかわらず、組合に団体交渉再開の提案をすることなく一方的に解雇通知を行ったことは、団体交渉否認の不当労働行為であることを抗議し、解雇撤回及び団体交渉の速やかな開催を求める旨を記載した申入書を手渡すとともに、口頭でも同様の申し入れを行った。その際、組合の堀田中央執行委員は矢部常務に対し、「会社が解雇に固執するのであれば、せめて退職金を上乗せするぐらいの譲歩をしてもよい事案だ。会社が提案した三か月分の賃金を退職金に上乗せするというのは退職勧奨としても少なすぎる。」旨を申し入れた。これに対し、矢部常務は、団体交渉の日取りは決めるが解雇撤回はできない旨返答した。

(二) 債務者は、同年四月四日開催予定の組合との団体交渉に先立ち、同月一日、組合の同年三月二七日付け申入書に対して、債務者は本件解雇に先立つ同月二四日、債権者に対して組合との折衝経過を説明するとともに、事実誤認があれば指摘してほしい旨申し入れたが、債権者から指摘がなされなかったこと、真野弁護士と鳥井書記長との同月一三日の折衝結果は、退職を前提とする解決はできないとする組合と退職を絶対条件とする債務者との間に調整の余地がないとの共通認識にたった結果であり、団体交渉の再開提案を行わないで本件解雇をしたものではないこと、同年四月四日の団体交渉は、組合の要求する解雇撤回について協議するものであるが、妥協点が見い出せない限りは然るべき法的手順について協議すること等を内容とする同月一日付けの回答書を手渡した。

(三) 債務者と組合は、同月四日、第二回目の団体交渉を行った。右席上、鳥井書記長は矢部常務に対し、債務者の同月一日付け回答書には事実誤認や意図的な歪曲が多くみられる旨を指摘し、今後組合として、債務者が解雇撤回をするまで抗議活動を含めた実力行使を行う旨を告げた。その後、債務者と組合は、真野弁護士の提案を受けて、解雇以外の解決策を双方で検討することになった。

(四) 真野弁護士は、同月八日、鳥井書記長と協議をしたが、その際、鳥井書記長は、解雇を撤回した上での解決の方法を考えるが、組合としては金銭解決はできない旨述べた。これに対し、真野弁護士は、解雇撤回、依願退職、再就職への協力を提案し、同月一八日に再度協議することになった。

(五) 真野弁護士は、同月一八日、鳥井書記長と協議したが、結局妥協には至らなかった。そこで、真野弁護士と鳥井書記長は、協議を打ち切ることにした。そして、鳥井書記長は、就労闘争及び地位保全の仮処分を申し立てる旨を告げた。

(六) 債務者は、同月二一日、債権者に対し、同日付け通知書で社内への立ち入りを禁止する旨を通知した。これに対し、組合は、同月二三日、組合員約二四名が債務者社内に立ち入り、約三〇分にわたって就労闘争を行った。債務者は、同月二五日、組合に対し、団体交渉の打ち切り及び債権者に対する解雇を再確認する旨を通知するとともに、組合の同月二三日の行動等に厳重抗議をした。

二  懲戒解雇の主張について

債務者は、本件解雇は普通解雇の意思表示である旨主張するのに対し、債権者は、本件解雇は懲戒解雇の意思表示である旨主張する。

右一の事実経過によれば、債務者は組合との交渉の際、懲戒解雇という言葉を用いており、甲第一号証の解雇通知書にも解雇理由として懲戒解雇事由を挙げていることが認められる。しかしながら、右通知書には、「尚、労働基準法第二〇条に基づく解雇予告手当金二〇万〇六九〇円については、本日、銀行振込み致します。」と記載され、また、右一の事実経過によれば、債務者は平成九年三月二六日付けで債権者の銀行口座に解雇予告手当金二〇万〇六九〇円を振込送金していること、就業規則四四条四号は、普通解雇の解雇基準として懲戒解雇の事由に該当した時と定めていること、真野弁護士が本件解雇に先立って鳥井書記長と協議をした際や矢部常務が債権者に対して解雇通知書を手渡そうとした際には、懲戒解雇という言葉は用いていないことが認められる。これらの事実を総合すれば、債務者は、普通解雇の意思をもって債権者に対して本件解雇に及んだものと認めるのが相当である。

三  解雇事由の不存在の主張について

1  解雇理由明示義務違反について

債務者は、本件解雇の理由として、解雇通知書に記載された金券横領、私文書偽造に加え、勤務成績の不良を挙げる。これに対し、債権者は、本件仮処分申立事件において勤務成績の不良を解雇理由として斟酌することは許されない旨主張する。

確かに、使用者が労働者に対して普通解雇を行う際、解雇理由を明示することが望ましい。しかしながら、使用者の行う普通解雇は、民法に規定する雇用契約の解約権の行使にほかならず、解雇理由には制限はない(但し、解雇権濫用の法理に服することはいうまでもない。)から、就業規則等に使用者が労働者に対して解雇理由を明示する旨を定めている場合を除き、解雇理由を明示しなかったとしても解雇の効力には何らの影響を及ぼさず、また、解雇当時に存在した事由であれば、使用者が当時認識していなかったとしても、使用者は、右事由を解雇理由として主張することができると解すべきである。これを本件についてみるに、債務者の就業規則には、解雇に際し、債務者が労働者に対して解雇理由を明示する旨の定めがなく、また、債務者の主張する債権者の勤務成績の不良は、本件解雇前の債権者の勤務状況を解雇理由とするものであるから、債務者が債権者の勤務成績の不良を本件解雇理由とすることは許されるというべきである。

2  解雇理由の存否について

(一) 金券横領、私文書偽造

債権者が同僚社員とともに、平成三年から平成八年にかけて、債務者のハートカードご利用代金明細書に付けている応募シールを集め、債務者代表者に無断で応募台紙の会員ご署名欄等に債務者代表者の氏名を記載するなどした上、これを勧銀カードに送付してカラーテレビ(時価約三万五〇〇〇円相当)やギフトカード(約一〇万円相当)を取得していたことは、債権者も認めるところである。そして、右応募シールは債務者が所有し、かつ、財産的価値を有するものであること、応募台紙が権利義務に関する文書であることは明らかであるから、債権者の右一連の行為のうち、応募シールを集めてカラーテレビやギフトカードを取得した行為は、横領(刑法二五二条一項)、業務上横領(同法二五三条)又は窃盗(同法二三五条)の各罪、応募台紙に債務者代表者の氏名等を冒用して勧銀カードに送付した行為は、有印私文書偽造(同法一五九条一項)、同行使(同法一六一条)の各罪を構成するものであり、就業規則五九条一三号の「会社の所有物を私用に供し、又は盗んだ時」、同条二〇号の「その他、前各号に準ずる不都合な行為があった時」に該当するというべきである。そして、就業規則四四条四号は、普通解雇事由として「懲戒解雇の事由に該当した時」と定めているから、債権者には本件解雇理由があるというべきである。

債権者は、債権者の右一連の行為は軽微であって懲戒解雇事由には該当しない旨主張する。確かに、右一の事実経過及び甲第九号証によれば、債務者はこれまで右応募シールを集めて景品等を応募したことがなく、右明細書を請求書綴りに綴っていたこと、また、債権者が勧銀カードから取得したカラーテレビやギフトカードは金額的に低く、債務者の被害金額は小さいといえる。しかしながら、債権者の右一連の行為は、経理課員である債権者が過去六年間にわたり何のためらいもなく行ってきたものである上、債務者代表者の署名を冒用してギフトカード等を取得したのである。なお、甲第九号証には、債権者が右一連の行為に及んだ動機として、もったいなかったからである旨の記載があるが、右記載は、債権者が右一連の行為を行うに際し、違法性の認識が欠如していたことを如実に物語るものである。これらの点を合わせ考えれば、債権者の右一連の行為が軽微なものであり、懲戒解雇事由に該当しないということはできない。

(二) 勤務成績の不良

疎明資料(乙五、六、一九の1、2)によれば、債権者の上司評価は、入社初年度である平成二年度は総じて優秀又は普通とされていたものの、翌三年度以降は不良と評価され、判断力、理解力の欠如、事務処理の遅れ、ミスの多発、改善意欲の欠如等が指摘されたこと、また、債権者の賞与評価においても同様であり、特に平成五年度冬期以降は極めて不良との評価がなされていたこと、債務者における成績評価は、個別採点方式ではなく、個々人の良い点、悪い点を抽出した上で抽象的な相対比較に基づいており、部長会議における多角的な検討、協議を経て決定されているというのである。しかしながら、債務者の採用する成績評価の手法によっても、評価する者の主観によるところが大きく、その客観性にはいささか疑問が残る上、就業規則四四条一号は、勤務成績の「著しい」不良を普通解雇事由としているから、仮に債務者の主張するように、債権者の勤務成績が不良であると評価されるとしても、それが普通解雇事由である勤務成績の「著しい」不良に該当するとまでいうことはできず、他にこれを認めるに足りる疎明資料はない。

よって、勤務成績の不良を理由とする本件解雇は理由がない。

四  解雇権の濫用の主張について

1 使用者が労働者を普通解雇する場合において、普通解雇事由があれば使用者は常に解雇をなし得るものではなく、当該具体的な事情の下において、解雇に処することが著しく不合理であり、社会通念上相当なものとして是認することができないときは、当該普通解雇の意思表示は解雇権の濫用として無効である。

2  そこで、本件に現れた事情を順次検討する。

(一) まず、右三で認定判断したとおり、本件解雇は就業規則に定める解雇事由が存在するから、本件解雇には相当な理由があるということができる。

(二) 次に、本件解雇の手段の相当性について検討する。

債権者は、債権者のハートカードの件に関する一連の行為は、戒告又は始末書の提出、重くても出勤停止が選択されるべきであり、本件解雇は手段の相当性を欠く旨主張する、確かに、就業規則五八条には、訓戒、譴責、減給、降格、出勤停止などの懲戒処分及び懲戒事由が定められている。しかしながら、仮に、債権者の一連の行為が就業規則五八条各号に該当するとしても、行為の態様、程度に加え、債権者は、矢部常務や田中課長からハートカードの件について事実の有無を尋ねられた際、「知らない。」、「覚えていない。」、「組合の人に聞いて下さい。」などと述べて自らの行為の責任を認めようとせず、謝罪や被害弁償をしようとしなかったのである。この点、債権者は、本件審尋期日において、謝罪をしなかった理由として、債務者から謝罪を要求されなかったからである旨述べている。しかしながら、債権者も社会人である以上、自ら犯した過ちに対しては率直に謝罪するべきであり、かつ、本件解雇時までに謝罪することは十分に可能だったのであり、債権者の右供述は、自らの責任を債務者に転嫁するものと言わざるを得ない。債権者は、本件審尋期日において、代理人弁護士を通じて謝罪及び被害弁償に応じる用意がある旨述べているが、遅きに失するというほかない。右に検討した債権者の一連の行為の態様、程度やハートカードの件発覚後の債権者の反省態度の欠如などといった情状を考慮すれば、たとえ債権者に対する本件解雇が懲戒処分としての意味合いを有するものであるとしても、債務者が懲戒処分としての出勤停止ではなく、普通解雇を選択したことが不相当なものであるとまでいうことはできない。

(三) 次に、債務者の債権者に対する退職勧奨について検討する。

右一の事実経過によれば、債権者に対する退職勧奨の理由は、当初、債務者の業績不振であったところ、その後、債権者の業務遂行能力の欠如等に変更され、債権者が組合に加入した後、ハートカードの件に関する金券横領、私文書偽造に変更されたというのである。この点、債務者は、退職勧奨理由が変遷した理由について、債権者に対する温情的、人権配慮として金券横領、私文書偽造の表面化を回避するためであった旨主張する。なるほど、疎明資料(乙一七、一八、二〇)及び審尋の全趣旨によれば、債権者のハートカードの件が債務者において発覚したのは平成八年一一月上旬ころであることが疎明され、右一の事実経過と合わせ考えれば、債務者が債権者のためを思い、可能な限り表沙汰にならずに本件を解決しようとしていたことが窺える。しかしながら、債務者が債権者に対して真の退職勧奨理由を述べずに退職勧奨を行うことは、債権者を動機の錯誤に陥れて任意退職に応じさせることに他ならず、この点において債務者の行った退職勧奨の方法は、いささか不適切であったといわざるを得ない。また、右一の事実経過によれば、債務者のした退職勧奨は、その頻度、内容に照らし、退職勧奨に応じなければ解雇すると述べて、債権者をしてあたかも任意退職しか選択する余地がないように仕向けるものであり、債権者に対して退職を強要するものであるとの誹りを免れないというべきである。

(四) 次に、本件解雇に先立って行われた組合との団体交渉における債務者の対応について検討する。

債権者は、本件解雇に至る手続は、形式上団体交渉を経ているものの、債務者は誠実団交応諾義務に違反し、実質的には団体交渉を否認したのであるから、本件解雇手続自体が不当労働行為を構成するものであり、公序良俗に反するから本件解雇は無効である旨主張する。右一の事実経過によれば、組合の団体交渉開催の申し入れ後の債務者の債権者に対する対応は、組合との団体交渉を経ずに問題を穏便に解決したいという意図が表れており、できることなら組合との団体交渉を回避したいという意図があったことは否定できない。しかしながら、右一の事実経過によれば、債務者は、その後、平成九年一月一〇日に組合と団体交渉を行った結果、真野弁護士と鳥井書記長との間で協議を行うことになり、その後、同人らの間で協議が重ねられたのであって、債務者が誠実団交応諾義務に違反したということはできない。また、債務者は、債権者に対する解雇は可能であり、債権者の退職が問題解決の絶対条件であると主張し、債権者及び組合は、債権者に対する解雇は懲戒解雇、普通解雇とも無効であり、退職には応じられないと主張して双方が対立し、同年三月一三日になって真野弁護士が解雇を実施せざるを得ない旨を述べ、鳥井書記長が団体交渉を再開するしかない旨を述べた後、債務者が団体交渉を再開することなく本件解雇に及んでいるが、このような場合には、もはや団体交渉を再開しても、債権者、債務者いずれかの譲歩によって交渉が進展する見込みは極めて乏しいのであるから、債務者が団体交渉を再開することなく本件解雇をしたとしても、それが団体交渉拒否(労働組合法七条二号)の不当労働行為にあたるということはできない。

なお、債権者は、本件解雇自体が不当労働行為にあたるとも主張するようであるが、右一の事実経過によれば、債務者が債権者が組合に加入し又は組合を嫌悪して本件解雇をしたと認めることはできない。

3  右2で検討してきたところによれば、本件解雇は懲戒解雇事由にも該当する相当な解雇理由が存在し、かつ、その手段も不相当なものではなく、本件解雇に先立つ組合との団体交渉においても、不当労働行為に該当するような事実は認められないのであるから、債務者の債権者に対する退職勧奨の方法に問題があったことを考慮しても、本件解雇が解雇権の濫用にあたるということはできない。

したがって、本件解雇は有効というべきである。

五  以上によれば、債権者の本件申立ては理由がないから却下して、主文のとおり決定する。

(裁判官島岡大雄)

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